僕を支えてくれたみんなへ-言い訳するの、やめます

■言い訳するの、やめます

言い訳して、逃げるのやめます。自分はいつも中途半端で、必死でやらなかったことを後悔しては結局いつの間にかなんとなく日々を生きてしまう、の繰り返しです。ひょんなことからこの文章を書こうと思ったけれど、結論としては3つ。1つは、これから僕が言い訳をやめて努力することをみんなに知ってほしいということ。まあ、決意表明のようなものです。2つめは、きっと僕は口ではそれらしいことを言いながら、すぐ楽な道にそれようとするから、そんなときはみんなが僕の背中をひっぱたいてこんなもんかと奮い立たせてほしいということ。そして最後は、少しでもみんなに「自分も頑張ろう」と思ってほしいということ。

 

はじめはこの記事に自分がこれからどうするのかを書くことで、言い逃れできない状況を作ることが目的だったけれど、それだけじゃ単に僕の要求を一方的に押し付けているだけでみんなにとっては何もいいことがない。だからこの記事を読んで、少しでもやりたいことをやろうと思ってもらえたり、それに向かって努力したり、何かに挑戦する一歩を踏み出してほしい、それを少しでも手助けするような文章を書きたいと思っています。僕はまとめるのが下手で、自分語りばかりで、長文だし、結局何が言いたいのか分からない文章になるかもしれないけれど、一番伝えたいのはこのことです。

 

■本気で努力することが怖かった

幼い頃から僕は自分のことが大好きで、自分はスゴイと思っていました。運動も勉強もそれなりに得意だった僕は、なんでも人並み以上にこなしていました。運動でいえば、小学校で毎年行われるマラソン大会でずっと1位をとったり、地区対抗リレーの代表選手に選ばれたり、陸上部でキャプテンをしたり、兄の影響で始めたソフトボールでチームのエースになったり、今の僕を知っている人が聞くと驚くかもしれないけれど、地元の相撲大会で1位になったりしたこともあります(笑)。勉強もみんなが分からない問題が解けたり、テストでいい点をとったり…。比較的に周りよりも、スポーツや勉強ができて、絵が得意で、字がきれいで…。

「成績優秀で何でもできる」小学生の頃はちょっとしたことでも周りの友人や大人たちがそうやってもてはやしてくれて、「すごいね!」と言ってくれました。そんな影響からか、僕はあらゆる物事が自分の思い通りにならないと気が済まない性格でした。たとえば、学校で出された数学の宿題で分からない問題があったときなんかは、顔真っ赤になるぐらいイライラして、大声で泣き叫んで家の壁を足で蹴りまくっていました。たとえゲームでも自分の思い通りにならなかったら叫び散らかしてカンカンに怒っていたし、初めて鉄棒の逆上がりに挑戦したとき、どうしてもできなくて母親と一緒に公園で泣きながら練習したこともあります。何かできないことがあると自分の能力が低いことを証明している気がして、できるようになるまでやらないと気が済まなかったんです。プライドが高くて、負けず嫌いで、完璧主義で、自分が特別だということ、人よりも優れているということを証明しようと必死でした。変に小器用で何でもできたがゆえに周囲から期待され、しくじってはならないという切迫感にいつも駆られていました。その期待に応えられない自分には価値がないように思えたんです。でも、年を重ねるにつれ、今までできていたものができなくなったり、1番になれなくなっていきました。小学校高学年から中学校あたりにかけて周りはどんどん努力して、次第に僕より運動ができたり、勉強ができたりする人が出てきます。今までの僕にとっての当たり前が当たり前じゃなくなって、努力していない自分の弱さが突き付けられた気がしました。それまで「何でもできる自分」が評価されてきたから、それができなくなった以上、もう評価されないとも感じました。一度つまづいてしまうと本当に脆くて、それ以来全力で努力することが怖いと感じるようになりました。仮に本気でやってみてダメだったら、「自分のすべてを出し切ったのに、それでもダメだった」と言わなくてはいけないと考えると、幼い頃から完璧主義的な考えが根付いていた僕にとってそれ以上つらいことはないと思っていました。言い訳しようのない状況に陥ることが何よりも怖かったんです。

 

■高校で少し変わった、でもやっぱりダメだった

高校生になって野球部に入ってからは、少しだけ変わりました。1年生の時は、同じ1年生投手陣のなかでも圧倒的にヘタクソで、まともに練習にも参加させてもらえず、自主練習ばかりの日々でした。A,B,Cとあるうち、僕はもちろんCチーム。同級生たちは上のチームですでに活躍していて、嫌でも比較されて(実際はそうではないにせよ)みんなから馬鹿にされているような気がして屈辱でした。誰かと一緒になってグダグダしてしまうのが嫌だったタイプの僕は、できる限り一人で練習するようにしました。努力の甲斐あってか、2年生頃から突然感覚がつかめてきて、徐々に周囲からも期待されるようになりました。その過程で自信もついてきたんです。でも、それもつかの間。2年冬から3年の春にかけてケガや不調から自分の思うようなプレーができなくなっていきました。追い求める理想が高いゆえに周囲からの期待と現状の自分とのギャップに必要以上に苦しみ、なんだかもうどうでもよくなって、まともに練習しなくなりました。おそらく、あの時の僕がどれだけ練習に身が入っていなかったかを知っているのは同級生でも数人、それから僕を慕ってくれていた後輩の投手陣たちだけです。あのときは本当に情けない姿を見せてしまっていたと思います。ケガをしたのをいいことに学校にあるトレーニングルームでダラダラと時間を過ごし、「いっそのこと夏のメンバーから外してほしい」などと言っていたときもあります。あの頃の自分は言い訳できる状況が欲しかったんです。「結果を出せなかったのはケガをしたから、調子を崩したから」「ちゃんと努力していればきっとやれたはずだ」そんな風に言い訳しないと、必死に努力しなかったという現実に真正面から向き合わなくてはいけないから。自尊心やプライドを守るために逃げ道を作って必死に言い訳できることを探していました。

いつもそうです。僕は全力で努力しようとしない。そのくせ「努力しているように見せる」のは得意なんです。中学校でも高校でも周りの人にはストイックだと言われることが多かった。でもそれは、全力で努力していない事実を偽りたくて、自分自身や周囲に対して「自分は努力している」と誇示していたに過ぎません。

 

■だから僕は野球をやめた

大学への進路を決めるうえで長年やってきた野球をやめるという選択をしたのは僕にとって、とても悩んだ末の決断でした。野球自体は大好きだし、もともとは大学まで続けて、プロに行きたいなんて思っていた時もあります。決して野球が嫌いになったからやめたわけではなかったし、やっていく自信が全くなかったというわけでもありません。仲間たち、指導者の方々、保護者の方々、みんなから大学でもやるべきだと期待されたことが本当にうれしかったし、技術も身体もまだまだ未熟な段階で4年もの時間を与えられれば、もっと成長してそれなりの結果は出せるんじゃないかなと、自分自身でもほのかな期待も抱いていました。それでもなお、野球をやめようと思った理由の一つとして言い訳を作りたかったというのがあります。もちろん、それだけが理由ではありません。このまま野球を続けて本当にいいのかとか、まだまだ知らない世界をもっと知りたい、長年やってきた場所を離れて何か新しいことに挑戦してみたい、こんな風に考えたからという理由もあります。でも、心のどこかで「周囲から期待されている今やめておけば、あとになって言い訳できる」「ほんとはやればできたけど、やらなかっただけだ」こんな風に保険をかけることで、全力で挑戦してダメだったときの言い訳ができないという怖さから逃げ、自尊心やプライドを守りたかったという考えもあったと思います。というより、それが本心だったのかもしれないし、新しいことに挑戦してみたいというのも単なる後付けだったのかもしれません。

 

■人生で一度も全力で努力したことがない

これまで生きてきたなかで、僕は全力で努力したことがありません。いつも口ではそれらしい目標を掲げながら、頑張っている自分を演じて、何かと言い訳を見つけて逃げ道を作っておくんです。周りからはストイックだの意識が高いだの言われることが多いけれど、実際の僕はすぐ怠けるわ、サボるわ、言い訳するわ、でいわゆる典型的なクズです(笑)。人一倍負けず嫌いなくせに努力はしない。思い通りにならないとすぐイライラするくせに改善しようと頑張ろうとはしない。口だけは達者で行動が伴なっていない。今までは自分の意志だけで努力することができないから、周囲に対して努力する自分を見せることでなんとか強制的に頑張ってきました。

 

■結論、僕の願いはこの3つ

今まで長々と僕の過去について話してきましたが、結局のところ言いたいことは最初と同じ、この3つです。1つ、これからはもう言い訳するの、やめます。ああだこうだ御託を並べて、逃げ道を作ることはやめます。2つ、僕はどうせそのうちにまた言い訳をします。僕は僕を信じていません。口ではたいそうなこと言っておきながら絶対に怠けます。だから、こうやってみんなに宣言することで言い逃れできない状況を作りたいです。みんなには、僕が言い訳をして逃げ出そうとするたび、僕の背中をひっぱたいてほしい。そして3つ、みんなにも、何かしら自身の目標に向かって頑張ってほしい。

僕は、今までに何度も、全力で努力しなかったことに後悔しました。高校野球、最後の試合を今でもよく覚えています。みんなが必死にグラウンドで戦っている中で、僕はただベンチから眺めていただけでした。試合に負けたとき、全く涙が出てこなかったんです。もちろん、試合に負けたこと自体はすごく悔しかったし、もっとみんなと野球していたかったと寂しく思いました。けど、自分の中でやり切った感が全くなくて、泣けなかったんです。試合が終わった後、スタンドで応援してくれていたチームメイトの「お疲れ」という言葉を聞いて、「なんでもっと必死にやらなかったんだ」と情けない気持ちになって、後悔して、そのとき初めて涙が出ました。

みんなにも、もっと頑張っていたら良かったという経験はあるはずです。それでもやっぱり、努力するのはつらく苦しいもので、いつの間にかなんとなくの生活に戻って、もういいかとなってしまいます。それが当たり前です。多くの人はそうでしょう。それでも、みんなにはそうなってほしくない。惰性にまみれた一時の決断をせず、後悔のない決断をしてほしい。その瞬間は楽に思えても、きっと後悔します。僕が何度もそうだったように。

 

■最後に

僕は将来、「人気者」になりたいです(笑)。尊敬されたい。感謝されたい。影響力を持ちたい。自分の好きなものを、自分の好きな人を、自分自身を、たくさんの人たちに知ってほしい。誰かに夢や希望を与えて、「こんな風になりたい!」と憧れを抱いてもらいたい。他者に貢献して誰かを幸せにすることで、認められて、感謝されて、そうすることで自分が幸せになりたい。幼い頃からすごくヤンチャで、周りに「スゴイ!」と言われてきた過去を持つからこそ、とにかく目立つのが好きなんです。だからこそ、僕はなりたい僕になるために行動して結果を出したい。正直、きついのは嫌だし、ほんの些細なことでも不安に感じるし、すぐ怠けるわ、サボるわで毎日全力で後悔のないようにとはいかないかもしれない。それに、具体的に将来何をするだとか、人生でこれを成し遂げたいというような大きなものはまだ見つかっていないけれど、なりたいものになるために頑張るので、どうかみんなも自分の夢や目標に向かって頑張ってほしい。そうはいっても何をしたらいいか分からないという人はとりあえず目の前にある小さなことでもいいので挑戦し精いっぱい努力してほしいです。

 

野球部のみんな、最近どうしていますか?もう長く会っていないので分からないですが、いまこの瞬間を全力で、後悔のない日々を送れているでしょうか。僕らがあの夏、甲子園に向かって努力したあの熱量を、忘れてしまうのは少しもったいない気がします。各々、何かしら自身のエネルギーをそそぐ場を持ち、夢や目標、やりたいことがあるでしょう。野球部だけじゃない。きっと、これを見ている人たちみんな、何かしらはあるはずです。それぞれがそれぞれの場所で努力して、久しぶりに再会したときに、「俺いま、こんなに頑張ってんだぜ!!毎日楽しくて仕方がない!!」こんな風に話し合えたら、とても楽しいと思うんです。

 

やる気が1日2日しか続かなくてもいい。3日坊主でもいいから、これを読んで、少しでも今の自分を再確認し、自分の目標に向かって努力するきっかけになればと、そう願っています。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。